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私は、自分の名字がとても好きでした。
私の名字は、全国で数百人しかいない、そこそこ珍しいものです。
しかし、使う漢字は小学校で習うレベルなので、読み方が難しいということもありません。
さらに、私の名字は別の漢字を使うほうが一般的で、それだと全国に1万人ほどいるものでした。
例えば、「ますだ」という名字だったら、「増田」が一般的で、私は「枡田」や「益田」ということです。
そんな名字ですから、学校や会社で、漢字まで同じ名字の人に出会ったことはほんの数回しかありません。
一般的なほうの漢字でも、同学年にはおらず学校全体にいるかどうかのレベルで、会社でも同じ部署の中でかぶったことはありませんでした。
また、珍しさだけでなく、漢字の意味や、読みの響きも好きで、自分のアイデンティティの1つとなっていました。
一方、夫の名字は、ありふれたもので、特別感は皆無でした。
会社でかぶることもあり得る名字です。
自分の名字が好きだからが70%、夫の名字が嫌だからが30%くらいで、私は自分の名字を変えたくはありませんでした。
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私は、自分の名字がとても好きでした。
私の名字は、全国で数百人しかいない、そこそこ珍しいものです。
しかし、使う漢字は小学校で習うレベルなので、読み方が難しいということもありません。
さらに、私の名字は別の漢字を使うほうが一般的で、それだと全国に1万人ほどいるものでした。
例えば、「ますだ」という名字だったら、「増田」が一般的で、私は「枡田」や「益田」ということです。
そんな名字ですから、学校や会社で、漢字まで同じ名字の人に出会ったことはほんの数回しかありません。
一般的なほうの漢字でも、同学年にはおらず学校全体にいるかどうかのレベルで、会社でも同じ部署の中でかぶったことはありませんでした。
また、珍しさだけでなく、漢字の意味や、読みの響きも好きで、自分のアイデンティティの1つとなっていました。
一方、夫の名字は、ありふれたもので、特別感は皆無でした。
会社でかぶることもあり得る名字です。
自分の名字が好きだからが70%、夫の名字が嫌だからが30%くらいで、私は自分の名字を変えたくはありませんでした。
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