嫁いだつもりはありません!めりこの婚活・結婚備忘録

2021年02月

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夫からしたら、「鈴木になれる嬉しいな‌って言ってくれる女性の方が、嬉しいに決まっています。

名字ごときでいちいち騒ぐ女より、夫の名字になることを喜び、何の問題もなく結婚を進められる女性の方が、よほど可愛げがあると思います。

けれど、夫がどう思うかとか可愛げの有無なんてどうでもいいくらい、
改姓に対して、嬉しい、という感情が全く湧かないのです。

いつだったか耳にした歌で、「2つあった名字が1つになって…」という結婚を歌ったものがあったのですが、
(1回聞いただけなので、そこの部分しか覚えておらず曲名も忘れてしまいました。)
私は、名字が1つになることが幸せだとは思わない。

そして、
名字が1つになることが結婚の必須要件だとも思わない。

私は、私らしく、桝田のままで生きたい。

生きたかったです。


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私は、自分が名字を捨てなければならないことに納得できないことを、親や同僚、友達に話しました。

「当たり前、そういうものなんだと思って、疑ったことすらない。そんなことにいちいち反発するお前が異常。」

同僚1(女性)「相手の名字になるのが夢だった。だから職場でも旧姓を使用していない。」

同僚2(男性)「妻が、○○(同僚2の名字)ですって言ってるのを聞くと、家族になったんだなあと思って嬉しいものだよ。」

同僚3(女性)「通帳の名義変更をして、結婚したんだなって実感が湧いた。」

結婚を控えた友達(女性)「どっちの名字を名乗るかの相談なんてしていない。私が変えるものだと思っているから。」

誰一人として、私と同じ意見の人はいませんでした。

私は……

私は、異常者ですか?


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様々な場面で触れる、鈴木めりこという名前。

私は、それが私自身であるとは、到底思えませんでした。
近いような遠いような、知っているような知らないような、鈴木めりこは私にとって、そんな存在なんです。

私は、過去も今もこれからも、桝田めりこです。
鈴木めりこじゃない。
けれども、公的にはもう桝田めりこは存在しないんです…

私、枡田めりこは、公的に抹殺されました。
そして私は、馴染みのない名前を背負って、生きていかなければならないのです。



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公的に「桝田めりこ」が抹殺されたことは、結婚の手続き以外でも実感しました。

1番主なのは、病院関係です。

保険証は新姓に変わったため、病院で呼ばれるのは、鈴木という名字でした。
「私は鈴木だ!」と意識していないと、呼ばれても気付きません。 
今までは待合室で気を張ったことなんてなかったのに、
今では鈴木という名字が呼ばれるのを今か今かと待つスタンスです。

結婚したことを知った顔見知りのスタッフの方からは、
「(新姓で呼ばれることに)そのうち慣れるよ!」と言われました。
その時はなんとか笑って対応しましたが、本当は、本心は、そんなことに慣れたくなんてないんです。

私自身、鈴木で呼ばれることが、非常に苦痛でした。


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今まで述べたとおり、私は自分の名字を泣く泣く手放し、新姓を名乗りながらも、それに抵抗している人間なわけですが、
改姓して生まれたのは、喪失感だけでした。

新姓に書き換えられた通帳や、マイナンバーカード、運転免許証を見て、多くの女性は
「結婚したんだこれで私も彼の奥様と嬉しい気持ちになるのでしょう。

しかし、私は違った。
そんな嬉しい気持ちなんて、私の中には1ミリたりとも存在していなかったのです。

私は、「桝田」の文字が二重線で消された通帳や、旧姓欄に入ってしまった「桝田」の文字を見て、公的に桝田めりこが存在しないことを強く実感させられました。
そして、アイデンティティの喪失ともいえるこの体験について、深く悲しむしかなかったのです。


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